三笠宮殿下の戦争指導批判

三品隆以『我観石原完爾』より。若杉参謀こと三笠宮崇仁親王殿下*1昭和19年支那派遣軍離任の際、司令部将校団に対して行われた講演の骨子。

(一)支那派遣軍の戦争目的は分明でない。即ち、その名分が、明確にされていない。
(二)軍、政、経各般にわたる現地施策は、総じて、事変処理に関する国家目的に合せず、また、中国側民衆社会に苛酷で、非情な圧迫と収奪となって、全中国民衆の離反と抵抗を、一層深刻にし、徹底的なものに追いやっている。
(三)日本人は、中国の歴史を知らず、社会を理解せず、異民族に対する寛容と融和の道を知らない。
日本人は、すべてに対して自己の主観と独善で事を処理する。指導者意識、権力、権威主義が先に立ち、相手の立場と、それに対応する、合理的、合意的な方法を考えようとしない。(ここで、一例をあげるといわれ、自ら撮影された路上風景のスナップを示された)これは、諸君が、路上でよく見られる風物である。中国人は、この写真で見るように、十歳前後の子どもに至るまで、自然の法に則り、ものごとに対し、無理をしない。これは市場に、鵞鳥と、家鴨を連れて行く少年の姿であるが、一番後から、ゆうゆうと、口笛を吹き、鼻唄を唄いながら、ついて行くだけである。
先頭を注意されたい。先頭には、鵞鳥の中のボス、指揮官らしいのが、胸をはり、首をあげて進んで行く、何十羽という大群は、嬉々としてそれについて行くだけである。少年は、このボスにすべてを委せて、それを監視しているだけで余裕綽綽である。
これが日本人ならば、おそらく、一羽一羽を、鞭や棒で、追いたてて行くであろう。そこに、日・支両国民族の違いがある。我々は、中国人に多くを学ぶ必要がある。すくなくとも、この国は中国である。中国の問題は中国にまかせるより外に途はあるまい、と私は思うが、どんなものであろう。(中国軍の指揮官が、後方から督戦するのと同じである)
ひとの家に泥足ではいりこんで来て、重箱の隅をつつくような、余計な指図をするということが、どういう結果をもたらすか、これは、いうまでもない。
(四)日本軍は、皇軍の真義と武士道精神を忘れ去って、覇道主義に陥っている。
フィリッピン作戦の報道映画”この旗をうて”に、作戦部隊が、アメリカの国旗を踏みつけて前進する場面を、臆面もなく、公開している。米国民の星条旗に対する尊崇と、誇りを、土足で踏みにじるということは、立場を替えて、我々がこのような侮辱を受けた場合を考えるならば、事理明白である。
戦争指導上の見地からしても、このようなことは、米軍及び米国国民の対日感情をさらに激化せしめ、その継戦意思を益々強化させるだけであろう。また、何よりも、これは、皇軍精神、武士道精神に反する。
(五)自分は、現地における軍及び政府出先の「対支新政策」実施に関する実相とその当否を点検して、一々復命すべき聖旨を承けて派遣軍に赴任したのである。在任一年の短時日ではあったが、自分の観察と研究の結果、現実の様相は、遺憾ながら、大御心に反するものが甚だ多い、と断ぜざるを得ない。
軍内にあるものとして、何人も、このようなことは発表できないと思うので、自分の特殊な立場上、上司の承認を受けて、離任にあたり、特に、同僚及び後輩である諸君の参考に供し、将来の研究と反省に資したいと思う。