井上靖の実力

井上靖は娘の結婚式で、四高時代の友人に、「井上君は柔道をやっていたが、あまり強くなかったらしい」というスピーチをされ、

「柔道が強くなかったと言われるのは甚だ心外です」

と、珍しく色をなして駁したそうだ。
井上は昭和3年のインターハイ中部予選で、松山高校の抜き役だった中野という強豪と戦い、引き分けに持ち込んでいる。観戦記事では

「井上、中野立つ。松山軍闘将中野をして四高先陣を挫かんとす。井上又さるもの勇敢に出づ。両者片袖を取り引き込まず。中野引き込み巴投げに返へし崩袈裟に入るも、井上巧に逃る。爾後中野度度引き込み返すも井上徹頭徹尾引き分けに出で時間来る」