こういう話がある

家康は、年少のころから七十三歳のときの大坂ノ陣にいたるまで、半世紀以上の実戦経験をもつ武将だが、晩年、小幡景憲をよび、
「そちは甲州流軍学とやらを講述しているそうじゃが、信玄が所持していた軍配というものは、どういうものか」
「早速、調製つかまつりまする」
景憲は鍛冶屋をよんで作らせた。できあがったものは鉄製で、そのなかに金銀で日月をはめこみ、朱の房のついたみごとなものであった。家康は、片手で辛うじてそれを持ちあげ、
「こんな重いものがもてるはずがあるか」
と、ぐゎらりと投げ出した。

司馬遼太郎『真説宮本武蔵』より