マッカーサー

増田弘『マッカーサー』より

真っ先に一行へ駆け寄ってきたのは、対応役の連絡委員である陸軍参謀本部第二部長の有末精三中将であった。彼は予期せぬ到着のために、わざわざ長い滑走路を疾走せざるをえなかった。有末はアメリカでの生活を経験していたため、完全な英語を話した。しかもマッカーサー一行の到着のために詳細な調整を行うなど、優秀な人物であった。

何度読んでもこれは地の文、つまり著者の書いたものだと思うのだけど、有末精三氏といえば、ヨーロッパ特にイタリアが長い人だけど、アメリカにいたことはあっただろうか?戦死した弟の次少将はイギリスに駐在していたはずだけど。しかし優秀というのは如才が無いという意味だろうか?それなら確かに彼ほど優秀な人はそうは居まい。7月に皇太子殿下(今上天皇)に戦争は勝ちますなんて言いながら*1、それから2ヶ月もしないうちに、マッカーサーの先遣隊に「芸者は何人いるか」なんて尋ねる人だから。
ちなみに厚木で彼がテンチ大佐たちを迎えたときの面白い話がある。彼らが飛来したのは28日だから、29日の新聞のことだろう。各紙は下の写真を掲載した。本人に言わせれば小学生が敬礼をしているような写真である。

ところが読売新聞だけは別の写真を載せた。それが下である。

早速有末は読売以外の記者を出入り禁止にしたという。緒方竹虎の抗議などもあり、これは数時間だけのものであったそうだが、これを稚気愛すべしととるか、スモールアスホールととるかは、皆さん次第である。
ところで最初の写真で右側に写っているのは、歌舞伎マニアで知られるバワーズ少佐である。何というか、敵対的な国に親しみをもつ人間を、それだけでまるで非国民のようにいう風潮が、わが国でも見られるが、テンチ大佐にしても、バワーズ少佐、マンソン大佐にしても、アメリカ側から見たら前記のような人間だろう。しかし彼らいなかったらどうなっていたか。GHQが上から下までケーディスのようなニューディーラーだったら、日本の伝統文化なんて粉微塵にされていたかも知れない。人も国も懐深くいきたいものである。

*1:「オイ!!第二部長なんていうものは誰れでも出来るよ、乃公でも勤まるよ。第一貴様は皇太子様に勝ちもしない戦を勝つ勝つとウソを申し上げたじゃないか」(この詰問者は近衛師団長の森赳。彼はこの日の晩に斬殺された。)