【ワルキューレ作戦】1944年7月20日事件の犠牲者一覧(2)【ヒトラー暗殺】

  • ユリウス・レーバー博士。社会民主党指導者。暫定内閣の内務大臣に決定していた。1945年1月5日に絞首刑。

  • 伯爵アドルフ・フォン・シャック。地主。1945年1月15日に処刑。
  • ヘルマン・シェーネ中佐。ハーゼ上級大将の副官。1945年1月15月に処刑。

  • ラインホールト・フランク博士。弁護士。第5軍管区(シュツッツガルト)の政治委員代理に決定していた。1944年7月21日に逮捕。1945年1月21日に処刑。
  • エルヴィン・プランク。著名な物理学者マックス・プランクの子。1930―32年にブリューニングの秘書。1932―33年には内閣書記官長。1945年1月22日に処刑。

  • オイゲン・アルブレヒト・ボルツ。ヴュルテンベルクの前司法、内務、総理大臣。ライヒ議会議員で中央党執行委員。ゲルデラーの暫定内閣の教育並びに宗教問題担当の大臣となることに決定していた。1945年1月23日に処刑。
  • 伯爵ヘルムート・フォン・モルトケ−クライザウ。法律家。クライザウ・グループの指導者。1945年1月23日に処刑。
  • ニコラウス・グロス。元カトリック労働組合指導者。1945年1月23日に処刑。
  • テオドール・ハウバッハ博士。社会主義の指導者。国旗団の主要な組織者の1人。1932年までベルリン警視庁の新聞課長。クライザウ・グループの一人。暫定内閣における情報大臣として決定していた。1945年1月23日に絞首刑。
  • ヘルマン・カイザー大尉(博士)。べックとゲルデラーの間の連絡将校。1945年1月23日に処刑。
  • ルートヴィッヒ・シュヴァンプ。社会民主党。1933年までへッセン内務省の参事官。1945年1月23日に処刑。
  • ブッソー・トーマ少佐。1945年1月23日に処刑。

  • フリッツ・エルザス博士。1933年にベルリンの市長代理。1945年1月にザクセンハウゼンにおいて監視兵によって殺害。

  • カール・フリードリヒ・ゲルデラー博士。ライプチヒの元市長で、元価格統制官。1944年7月20日事件では首相に決定していた。1945年2月2日にプレッツェンゼー刑務所で絞首刑。
  • ルフレート・S・J・デルプ神父。クライザウ・グループの一人。1945年2月2日に絞首刑。
  • ヨハンネス・ポピッツ教授(博士)。1932−33年にはライヒ無任所大臣。1933−44年にはプロイセンの大蔵大臣。1945年2月2日にプレッツェンゼー刑務所で絞首刑
  • グスタフ・ハイスターマン・ツィーベルク大将。1945年2月2日に処刑。

  • グスタフ・テルグマン中佐。1945年2月26日に処刑。
  • オスヴァルト・ヴィールジヒ。キリスト教労働組合指導者。1945年2月28日に処刑。

  • フリッツ・ゲルデラー博士(カール・フリードリヒの兄弟)。ケーニヒスベルク市の出納局長。1945年3月1日に処刑。
  • フランツ・ロイニンガー。元キリスト教金属労働組合の書記長。1945年3月1日に処刑。
  • カール・フォークト。労働組合指導者。1945年3月1日に処刑。

  • ハッソー・ベーマー中佐。第20軍管区(ダンチッヒ)の連絡将校に予定されていた。1945年3月3日に、オラニエンブルクの強制収容所で絞首刑。
  • アルツール・ネーベ。SS上級指導者。ライヒ保安庁第5局長。1945年3月3日にプレッツェンゼー刑務所で処刑。

  • エルンスト・フォン・ハルナック(有名な神学者の子)。著名な社会主義者で1933年まで、メルゼブルクの市長。1945年3月5日に処刑。
  • オスカール・カミネッシ。1945年3月9日に処刑。
  • 男爵クルト・フォン・プレッテンベルク。ドイツ皇太子の廷臣の一人。1945年3月10日にプリンツーアルブレヒトシュトラーセ刑務所で自殺。
  • ハンス・マルティン・ドルシュ中尉。1945年3月13日に処刑。

  • ヴィルヘルム・カナリス海軍大将。1934−44年に軍情報部長。1944年7月23日に逮捕。19455年4月9日にフロッセンピュルクの強制収容所で処刑。
  • ハンス・オスター少将。1943年まで軍情報部本部長。第4軍管区(ドレスデン)の連絡将校。1945年4月9日に、フロッセンビュルク強制収容所で処刑。
  • ディートリヒ・ボンヘッファー師。1943年4月5日に逮捕。1945年4月9日にフロッセンビュルク強制収容所で処刑。
  • ルートヴィッヒ・ゲーレ大尉。軍情報部。1945年4月9日にフロッセンビュルク強制収容所で処刑。
  • ハンス・フォン・ドーナニイ。ライヒ法律顧問官。軍情報部の一員。1945年4月9日にザクセンハウゼン強制収容所で絞首刑。
  • カール・ザック。陸軍最高司令部法務総監。1945年4月9日にフロッセンビュルク強制収容所で処刑。
  • テオドール・シュトリュンク博士。騎兵大尉。軍情報部。フランクフルトの保険会社取締役。1945年4月9日にフロッセンビュルク強制収容所で処刑。

  • エヴァルト・フォン・クライスト・シュメンツィン少佐。大土地所有者。第2軍管区(シュテッチン)の政治委員代理に決定していた。1945年4月16日に処刑。
  • オットー・ヒューベナー。保険会社取締役。軍情報部1945年4月21日に処刑。
  • クラウス・ボンヘッファー(ディートリヒの兄弟)。ルフトハンザの法律顧問。1944年10月6日に逮捕。1945年4月22日に処刑。

  • 伯爵アルブレヒト・ベルンシュトルフ。1922-33年にロンドンのドイツ大使館付法務官。1945年4月22/23日にレールテルシュトラーセ刑務所で銃殺。
  • 男爵カール・ルートヴィッヒ・フォン・グッテンベルク。地主。軍情報部の一員。1945年4月22/23日に裁判にもかけられずに処刑。
  • ゲオルク・アルブレヒトハウスホーファー博士(著名な地政学者の子)。1940−44年にベルリン大学地政学教授。1945年4月22/23日にレールテルシュトラーセ刑務所で銃殺。
  • マックス・イェンネヴァイン。技師。1945年4月22/23日に処刑。
  • ハンス・ヨーン。法律家。1945年4月22/23日に、レールテルシュトラーセとプリンツ−アルブレヒトシュトラーセ刑務所の間で処刑。
  • フランツ・ケンプナー博士。1933年まで再建省次官。1945年4月22/23日に処刑。
  • ハンス・コッホ。法律家。1945年4月22/23日に処刑。
  • リヒャルト・キュンツアー。外務省公使館付法務官。1945年4月22/23日に、レールテル駅近くで秘密警察により処刑。
  • カール・マルクス。商人。1945年4月22/23日の夜に監視兵により処刑。
  • エルンスト・ムンツィガー中佐。陸軍最高司令部。1945年4月22/23日に処刑。
  • ヴィルヘルム・ツール・ニーデン。産業家。1945年4月22/23日に秘密警察により処刑。
  • フリードリヒ・ユスツス・ペレルス博士。告白教会の法律顧問。1945年4月22/23日に刑務所の看守により処刑。
  • 伯爵ハンス−ヴィクトール・ザルヴィアーティ少佐。プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルムの義理の兄弟。1941−43年に、フォン・ルントシュテット元帥の副官。1945年4月22/23日に処刑。
  • リュドガー・シュライヘル教授(博士)。ディートリヒ・ボンヘッファーの義理の兄弟。空軍省参事官。1945年4月22/23日に処刑。
  • エルンスト・シュネッペンホルスト社会民主党労働組合指導者。1919―20年にバイエルンの軍務大臣。1920−33年にはバイエルン議会の議員。1945年4月22/23日にレールテル駅の近くで処刑。
  • ハンス・ルートヴィッヒ・ジールクス。元ラント参事官。1945年4月22/23日にレールテル駅の近くで処刑。
  • ヴィルヘルム・シュテーレ大佐。ベルリンの傷兵院司令官。軍情報部の一員。1945年4月22/23日にモアビット刑務所で処刑。

  • フリードリヒ・フォン・ラーベナウ砲兵大将。1935−43年にポツダムの陸軍記録保管所長。フォン・ゼークト将軍の伝記作者。1945年4月に、フロッセンビュルク強制収容所で処刑。
  • ハンス・グロスクルト大佐。1945年4月にソヴィエトで捕虜として自殺。
  • ハインリヒ・ケルナー。労働組合役員。ヤコプ・カイザーの追随者。クライザウ・グループの1人。1945年4月に処刑。

  • アントン・ゼフコウ。共産党中央執行委員会の一員。処刑。
  • マルテ・フュルスト・ツー・プトブス。処刑もしくは殺害。
  • フランツ・ヤコブ。指導的共産主義者。1944年7月4日に逮捕。刑務所で自殺。
  • 男爵ランドルフ・フォン・グライトバッハ−ビュレスハイム。1945年夏に死亡。
  • マックス・フライシュマン教授。1945年夏に処刑。
  • オットー・キープ。職業外交官。国防軍統合司令部外国局。元ニューヨーク総領事。自殺を試みたが、1945年8月26日にプレッツェンゼー刑務所で絞首刑。
  • エルンスト・アウグスト・フォン・ベルジク。クライザウ・グループの1人。1945年9月にソヴィエトの強制収容所で死亡。
  • ユスツス・デルブリュック博士。著名な歴史家ハンス・デルブリュックの子。軍情報部の一員。1945年にソヴィエトの強制収容所で死亡。