秘密工作とは?

林義秀『日本武士道の成れの果て』に収録されている和知鷹二中将の*1証言記録の中に、ちょっと興味深い一節があった。秘密工作という言葉の説明を求められて、和知は次のように語っている。

八月四日 裁判第八日 和知証言第三回
Q、ホセ・アバト・サントスの処刑に関し前の陳述で、秘密政治工作と云ったがどんなものか。
A、大正十二年東京、横浜方面に大地震、国内混乱、山本内閣之を収拾、日本国で大杉が策動しないかとの顧慮から、警備司令官小泉六一中将が甘粕を呼び大杉の本人、妻、子を捕え不法に之を殺させた。甘粕が之をやったので十年の刑に処せられた。此の時の国内状況を云う、
昭和六年田中義一総理大臣の時、張作霖をやっつけた問題、関東軍の大佐参謀河本大作之を実行する決意をなして之をやった。詳細は東京の軍事裁判で田中隆吉が云った通り、河本自ら先頭に立ってやったので自らその責を取った、後で軍法会議にかかり停職になり、軍司令官も責を負うた。河本も自ら陸軍を罷めた。

これは昭和24年のマニラでの戦犯裁判での証言である。「警備司令官小泉六一」とあるが実際は憲兵司令官、大杉の「妻、子」とあるが実際は「妻(内縁)、甥」だ。まあそれはそれとして。
大杉殺害が甘粕正彦*2の独断ではないという説は、別に和知が突然持ち出したものではなく、事件当時から根強くあったようで、高橋正衛氏の本でも紹介されている。甘粕と同期の河辺虎四郎*3なども、かなり調べたそうだ。和知は甘粕の2期下で事件当時中尉ぐらいだと思うが、少なくとも彼は、あれが命令による殺害であると信じているようだ。
もう一つの例の方は特に触れる必要もなかろう。

関連:近衛読書中隊 日本武士道の成れの果て