ヒデオ・ロックサイド

先のエントリで突然、昭和13年1月15日の大本営政府連絡会議の模様を取り上げましたが、別に深い意味があったわけではありません。ただ外交というのは難しいなあというだけです。十分現在でも参考になる話ではあると思いますが。

で、三つ前のエントリでは棚橋茂雄と、彼がやっていた(と称する)対米工作についても書きました。(棚橋曰く)これを最も妨害したのが岩畔豪雄であったということも。しかし運命というか、その岩畔も昭和16年に対米交渉の最前線に立つことになります。この、井川忠雄と彼の工作は、棚橋のそれよりずっと有名なので、御存知の方も多いと思いますが。

というわけで今日の一冊はこれ。

著者は岩畔少将の親戚だそうです。ですので3分の1ぐらいは少将の伝記のようになっています。肝腎の日米交渉についても良く纏まっていると思います。武藤章こそ、陸軍内で数少ない彼らの後援者であったと著者は書いておられますが、この点は私もその可能性が高いと思います。ちなみに私は、武藤と岩畔は、性格の違いはともかく、その閲歴からその蹉跌に至るまで、共通点の多い二人だと、以前から思っていました。二人の良さというのは、思い切った方向転換ができる点にあると思います。陸軍が続いていれば、いずれも陸相になったでしょう。大事な時期に、二人ともが東京から遠く離れた場所に居たのは、残念です。ついでにいうと、武藤の近衛師団長転出も、岩畔と同じく、一種の左遷風味の人事であるとする人もいます。



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