全米が泣いた

って泣きようもないですわ。公開されて無いんだもの。
Letters from Iwo Jimaを上演してるのは5箇所だけだそうだ。
全米で5箇所だけというのも逆に凄いような気が。
IMDbのボード読んでるけど結構面白い。
http://uk.imdb.com/title/tt0498380/board/nest/61899688
アメリカ版ネット右翼みたいなのが、日本兵美化すんなやと叫んでる。アメリカのネトウヨと日本の進歩派というのは相性良いんだろうか?
http://uk.imdb.com/title/tt0498380/board/nest/39731624
ここでは自称日本通が日本の犯罪を論ってる。アイヌとか持ち出すあたり面白すぎ。自分と違う意見をファシストレイシスト呼ばわりし、日本人の多くは自分の意見と同じだとか言うあたり、悲しいがまさに日本通外人の一典型であるなあ。

しかし我が身を振り返るとどうだろう。日本軍にもかつて支那通と呼ばれる人々がいた。しかし彼等の多くは支那人を蔑視し、時には、これを善導すると称して、彼等の政治に容喙した。支那人からすれば良い気がするはずはない。付き合いというのは難しいけど、自分がされて不快なことはしないが良い。他山の石、他山の石。

こっから本題。”硫黄島からの手紙”ネタバレあり。

投降するため出て行った清水が千人針を置いていったのに気付いた西郷は、慌ててそれを手に清水を追いかける。丁度そのとき、大久保も清水外一名の脱走に気付き、西郷の目の前で外一名は射殺されるが、清水はどうにか逃げおおせる。
しかし投降した清水はマリーンに射殺され、その亡骸は、通りかかった西聯隊の残存兵に発見される。西郷は泣きながら清水の千人針を彼の亡骸に掛ける。このシーンは二宮の発案だそうだ。
http://www.webstyle.ne.jp/movie/feature/0612iwojima.htm
千人針を置いていくという行為を死亡フラグとして使ったことには感心した。千人針が何か知ってる人は皆、清水やばいなとピンときただろう。さすがにハリウッドの脚本家ともなると、よくリサーチしてる。しかし私が気になるのは、その前段階。そもそも清水は何で千人針を外したのか?ということ。千人針というのはそんなに着けたり外したりするものではないと思うが。几帳面な清水はウンコするときに外して、そのまま忘れてたのだろうか?千人針を外すという行為は、その後の展開の道具立てに過ぎず、行為そのものには意味は無いのだろうか。しかし私は敢えて妄想するのだ。清水は自分で千人針を置いていったのだと。西の最後の言葉から投降を決意した清水だが、後ろめたさを消すことはできなかった。千人針というのは母の愛、郷土の期待の結晶だ。生きて帰ることは母を喜ばす一番の途には違いない。しかしそれは一方で、皆を裏切ることでもある。そんな葛藤の中、清水は千人針を持っていくことができなかったのではないか。

ま、これは昨日寝る前にふと思いついた妄想ですがね。色々想像させてくれる映画です。全世界で広くやって欲しいなあ。