良寛かわいいよ良寛

中島欣也『戊辰朝日山』収録
「向日葵−本間むつ子」より

良寛は長岡へ出てくると、いつも人見知りしたように、もじもじとますやの戸口にたたずむ。これが「この入道の癖なり」と知っている三郎兵衛は、わざと招き入れもせず、知らん顔をしてほったらかしておく。
「その時良寛ゆるゆると軒端へ来て、内をのぞきうかがひて詞が発す」
それでも主人は、座ったままで珍しくもないというふうにあいさつして、ちっとももてなすというそぶりを見せない。座敷へも招き入れない。しかしそのまま話しているうちに、興がのるといつの間にか良寛は座敷へ上がってくる。
三郎兵衛はあらかじめ、きれいな糸のまりをたくさん篋(きょう)に入れて、そこへ出しておく。良寛は子供のようになって、そのまりをいじっているうちに、われを忘れてしまう。それを見すましてやおら主人、
「子は其鞠欲しく思ふ歟」良寛「然り」「然らば子に与ふべし」
そうしておいて、そんなら御坊も、こっちの望むところを承知しなければだめですよと持ちかけると「良寛よんどころなくその望みに従ふ」というわけである。
こういうとき興にのれば、良寛は一度に、数十点も揮毫したという。良寛の没年は天保二年(一八三一年)だから、このときの主人三郎兵衛は、おそらくむつ子の祖父だったろう。しかしそれなら、ますやに良寛の書はうなっているはずだが、
「それが今なんにもないがですて」
むつ子の孫、現在長岡市に住む洋画家の本間正三さんは笑った。

戊辰朝日山―長岡城攻防をめぐる九人の青春像

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