杉田一次「情報なき戦争指導」を読む(その4)

    6 有末精三第二部長時代
  • 有末少将はムッソリーニの親友とまでいわれたイタリア通。田辺参謀次長の旧部下だった関係から引っ張られたのでは。
  • 海軍はミッドウェイの敗戦を陸軍にすら隠していた。
  • 7月20日、ドイツより対ソ賛成要望電報(881号)が届く。
  • ガダルカナルに上陸した米軍に関して在ソ武官より「ソロモン諸島に上陸した米軍はたいした意味のあるものではない。兵力は数千でその任務は飛行場を破壊して撤退することになっている」との電報があった。
  • 第17軍参謀長二見少将、海軍第11航空艦隊参謀長に情勢を聞くが、極めて楽観的な意見を述べられる。神参謀も「ガ島は簡単なり。一木支隊外1大隊で十分なり」と楽観。
  • 日本軍はマリーン(海兵隊)に関する知識がなく、これを軽く見た。
  • 新設の第8方面軍司令部から、筆者、篠原優参謀(39期、大佐)、田中耕二参謀(45期、中佐)の三名は消極参謀と見られた。
  • 辻政信が哈爾賓のモデルメホテルの主人(ドイツ人)を使って和平工作をやっているという裏情報
  • 上記情報に接した有末部長は第一部と第二部の合併を提案するが、結局沙汰止みとなった。
  • 18年1月ドイツの坂西武官とハンガリーの芳仲武官から電報が届いた。坂西武官の報告はドイツは不敗の態勢を整えているという楽観的なものであったが、芳仲武官の報告はドイツの戦争指導に批判的で、イタリア脱落の懸念を伝えていた。
  • 第八課長西義章大佐(31期)はキスカの守備隊司令官への転任を希望していたが、日本からドイツへの無着陸飛行の壮挙があることを耳にして、自らスペインに至って活躍したきことを再度部長に具申した。西大佐は香取孝輔中佐(34期)を連れてシンガポールから飛び立った。パイロットは陸軍第一流の中村晶三中佐、副パイロットは朝日新聞欧亜連絡飛行を行った飯沼正明氏が充当された。大佐の乗った機はインド洋上空で撃墜された。大佐は開戦時在スペイン武官で、当時米国航空兵少佐と和平について密談したこともあった。わが国の現況から和平工作の必要性を考え、中立国スペイン、ポルトガルにおける活動に挺身せんとしたのであった。スペイン公使の須磨弥吉郎はこの種の工作に理解があったことも渡欧を決意させた。
  • 筆者は聯隊の先輩の服部作戦課長からどうしてもと請われて作戦課に移った。
  • 18年9月より島村矩康大佐(36期、戦死して少将)は大本営参謀兼聯合艦隊参謀となり陸海の連絡とともに聯合艦隊司令長官の補佐にあたっていた。またサイパン中部太平洋方面艦隊が創設されるや同参謀も兼務した。島村大佐はソ連にも駐在し、関東軍参謀本部の作戦課に勤務した優秀な人材であったが、20年1月15日南支那海で撃墜され戦死した。
  • 19年2月10日、航空機資材の陸海配分で海相嶋田が陸軍に譲歩したことから、海軍の嶋田の弱腰に対する不満が著しく増幅。しかし、陸海協調に努める海相を弱腰、無能と罵るのは不適当。
  • サイパン斎藤中将より打電。「本朝サイパンに対し戦艦以下20数隻で砲撃中、本夕または明朝上陸の気配濃厚、傍若無人の振る舞い、帝國海軍何れにありや。陸軍部隊の志気旺盛満を持して撃滅を期しあり」
  • 7月5日サイパン島守備隊玉砕。「我等玉砕以って太平洋の防波堤たらん」
  • 海軍、見込みのないサイパン奪回を強硬に主張。教育局長高木少将もっとも強硬。
  • 従来より海軍内に陸軍を目の敵にする風潮有。嶋田はそのスケープゴートとされたか。嶋田は昭和12年以来中央部に位置しないで、16年東條内閣の出現とともに大臣に就任したわけで、重要な諸政策は彼の着任以前にほとんど決定されていたものだ。海軍高級将官が陸軍を”馬の糞”とか”強盗”などといい、対抗意識が強かった。それが下部にも反映し、陸海軍抗争を強からしめたのは否定できない。中沢佑中将は「嶋田大将は立派な提督であった。非難は度が過ぎている」と筆者に語った。
  • 古賀聯合艦隊司令長官は堀中将に送った私信で「海軍将兵が東奔西走懸命な努力を払っているにもかかわらず、ニューギニア、南東方面にある陸軍数ケ軍は徒食しているのは遺憾である」と述べている。これはガダルカナル以来の17A,18A、8HAの将兵の苦労をまったく無視した話である。
  • 戦後出版された多くの回想録や戦記中に対米正面の防衛が海軍の主担任であったことの記述がほとんどないのは残念。
  • 19年9月第二部各課の課長、高級部員を集めた会議で、第五課の野原博起中佐(42期)から満洲を放棄する意見が開陳されたが、強い反対意見から沙汰止みとなった。
  • 所謂海軍乙事件で福留聯合艦隊参謀長はゲリラの捕虜となりZ作戦計画と暗号書を奪われ、セブ島の30MBsに救出された。続いて第十四方面軍の某獣医部附大尉がマニラ市内の繁華街で方面軍作戦計画を盗まれた。軍参謀長諌山春樹少将(27期、中将)は台湾軍司令部附に左遷された。こうして捷一号作戦は、発動前からその計画が米軍に漏れていたのである。
  • 筆者は9月の大本営会議で海軍側に「海軍従来の戦果発表を総合すると、米海軍艦艇は皆無になっているはずだが事実はこれに反する。海軍の過大な発表は作戦指導に及ぼすところ極めて大であるので慎重な態度をとり真実を発表される必要がある」と発言した。
  • 最高戦争指導会議で小磯総理より秦彦三郎参謀次長に「ソ連は中立条約を廃棄するや」との質問あり。次長は「当然廃棄するであろう。ソ連としては今や条約存続の必要性はない。ソ連のような国にとっては条約と戦争は無関係であり、条約があっても安心できない」との見解を述べた。
  • チタ総領事館勤務の原田統吉(中野学校出身)がシベリア鉄道の監視作業を続けて「ソ連対日参戦を7,8月頃」と予測報告していた。