2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

四王天延孝回顧録

本を読んでいて面白い部分を見つけると、極力付箋を貼るようにしてます。でもしばらくすると、そのエピソードがどの本に載っていたか思い出せなくなり、折角の付箋もあまり役に立ちません。書くというのは大事ですね。そういえば学生時代も私は書いて覚えて…

宇都宮太郎日記1911

1911(明治四四)年 一月八日 日 晴 午后四時頃より、約により少将田中義一来訪。将来の国事に就き意見を交換し、且つ之れが為め偏狭なる郷関等を眼中に置かず、有為の人士と協力するの必要なりと云ふことに双方の意見一致し、先ず手始として海軍の財部…

宇都宮太郎日記1910

結構長い間探してた(といっても血眼になるほどではないが)ピゴットの『絶たれた絆』を手に入れました。朝、起き際に何となく閃くものがあり、トイレに行くより先に日本の古本屋で検索して発見。こういう勘だけは効くんだよなあ。 以上閑話。1910(明治…

宣伝のようなもの

少し前にマスコミが騒いだ赤ちゃんポスト。設置した熊本の慈恵病院蓮田太二理事長は、以前当ブログでも紹介した蓮田善明の次男だそうです。ま、それだけなんですが。↓参照 http://kumanichi.com/iryou/kiji/yurikago/148.html蓮田についてのエントリは↓ http…

宇都宮太郎日記1909

1909(明治四二)年 五月二十二日 土 晴 篠塚中尉来訪。義兄負債の抵当に供せし其家邸の竟に人手に委せざる可からざるの悲報を報ず。<注釈> 篠塚義男は歩一の将校の中で最も頻繁に宇都宮家を訪れている人物である。かつては自邸の庭に実った柿を持って…

李登輝さんのこと

李登輝前総統が来日された。回を重ねるごとに騒ぎは小さくなっているように思う。まあ、中共が因縁を付けて来るのはまだ分かるが、嬉々としてそのお先棒を担ぐ御注進メディアには呆れる。ターザン山本もびっくりのマッチポンプっぷりだ。ネオコンの先棒を担…

宇都宮太郎日記1907-1908

1907(明治四十)年 一月二十八日 月 晴 平山信成長女春子を歩兵大尉松井石根に勧め、今日手紙にて再考の余地あるや否やを尋ねしに、自分は総長の宴会故来れず、弟七夫をして来事情を打明け陳謝せしむ。要は親父の負債一万二千もありて之を兄弟四人にて…